政治家の質の悪さは「戦後教育が悪かった」?
2008年10月3日
宇佐美 保
数々の暴言を吐いた中山成彬氏(前国土交通相)が記者たちに辞任するのか否かを問い詰められると、
“自分の出処進退は自分で決める。今晩、女房(中山恭子首相補佐官)と2人でゆっくり相談する” |
と答えている映像がテレビから流れて来ました。
驚きませんでしたか?私は驚きました!
中山成彬氏は自らの意思で国交相の任に就いたのではないのです。
麻生首相から任命されたのです。
従って、“自分の出処進退は自分で決める”と中山氏は言えない筈です。
先ず、中山氏は、今回の不祥事を首相に報告し、(ご自身が悪いと思っていたのならですが)謝罪し、
出処進退は、首相に判断を仰ぐべきです。 |
その後、
首相は中山氏が国交相に相応しくないと判断したなら、首相が罷免すべきです。 |
万が一にも、首相に“今後も国交相としての仕事を続けてください”と懇願されたならば、そこで初めて中山氏は辞表を提出して、首相に受理を願い出るべきなのです。
ところが、わが日本国の政治家たちの行動は次の通りであったのです。
(共同通信:2008年9月28日)
中山成彬国土交通相は28日午前、麻生太郎首相に官邸で会い、一連の問題発言について「これ以上迷惑をかけられない」として責任を取り辞表を提出、首相は受理した。首相は同日、記者団に対し、自身の任命責任を認めるとともに「国民、関係者に心からおわびする」と陳謝した。・・・ |
麻生首相は、「自身の任命責任を認める」とのことなら、陳謝だけではなく、ご自身も辞意を表明すべきではないでしょうか?
辞意を表明しないまでも、“次に又このような暴言を吐く大臣が出てきたら、その時には、自分自身首相の座から退く”くらいの事は言って欲しいものでした。
ここで、改めて中山氏の暴言を、毎日新聞(2008年9月25日)から引用させて頂きます。
中山成彬国土交通相は25日午後、国交省内で行った報道各社のインタビューの中で、・・・所管する成田空港の整備についての質問に「かつて1車線(滑走路1本)がずうっと続いて日本は情けないなあと(思った)。ごね得というか、戦後教育が悪かった」「公のためにはある程度は自分を犠牲にしてでもというのがなくて、なかなか空港拡張もできなかった」と答えた。 国交省の無駄遣いをめぐるやりとりの中では、「ついでに言えば、大分県の教育委員会の体たらくなんて、日教組ですよ。日教組の子供なんて成績が悪くても先生になるのですよ。だから大分県の学力は低いんだよ」と述べた。自らが文科相だった時に全国学力テストを提唱した理由について「日教組の強いところは学力が低いのではないかと思ったから。現にそうだよ」と続けた。 さらに、観光行政の課題に関する問いに「日本は『単一民族』といいますか、世界とのあれがないものですから、内向きになりがち」と答えた。 |
中山暴言は、少し言葉を変えますと、中山氏をはじめとする今の国会議員諸氏に投げ返すべき言葉のようです。
先ずは、「ごね得というか、戦後教育が悪かった、公のためにはある程度は自分を犠牲にしてでもというのがなく」の言葉は少なくとも中山氏ご自身並び中山氏の御伴侶に向けて吐かれなくてはなりません。
朝日ニュースター「政治学原論」(9月29日再放送)を見ていましたら、浅川博忠氏(政治評論家)は次のように語っておられました。
中山成彬氏は、行革大臣を打診されたが、“自分も妻も官僚出身、そして息子も官僚、 そういう自分が官僚に大ナタを振るうことが出来ない”と固辞して国土交通大臣となった。 |
おかしいではありませんか!?
「自分も妻も官僚出身、そして息子も官僚」だったら、 従って、中山氏は「公のためにはある程度は自分を犠牲にして」行革に打ち込むべきだった筈です。 (麻生首相は、最適な人事を考えたのでしょう) |
なのに、「ごね得というか、戦後教育が悪かった」為なのでしょうか?中山氏は国交相に横滑り(?)されました。
そして、皮肉な事に、行革担当相をかつて務めた金子一義氏が、中山氏の後任となったのです。
(尚、行革に対する官僚達の激しい抵抗に関しては、「埋蔵金の発見者」で有名となった高橋洋一氏の著作に見る事が出来ますので、文末の(補足:1)にその一部を引用させて頂こうと存じます)
そして、又、不思議に思わずには居られないのです。
朝日新聞(2008年9月29日)には次のように書かれています。
「失言問題」でたったの5日間で大臣を辞めた中山国土交通相。28日の辞任会見でも、日教組に対する批判は止まらなかった。 ・・・ 地元・宮崎で27日、「日教組をぶっ壊せ」と語った際、すでに辞任を決意していたという。「ゆがんだ教育が行われていることに、国民の関心を引きたかった」「大臣としての職を賭してまでも、子どもたちのことを考えた大臣だったと説明してもらうとありがたい」と言った。 ・・・ 中山氏は27日夜、拉致問題担当首相補佐官を務める妻の中山恭子参院議員に辞任について相談したことを明かした。恭子氏からは「辞任は仕方がないわね。日本の教育を考えるいいきっかけになるといいね。前向きに考えましょう」と言われたという。 |
しかし、相談を受けた「拉致問題担当首相補佐官を務める妻の中山恭子参院議員」ご自身も拉致問題解決に対して「ある程度は自分を犠牲にしてでもというのがなく」との態度が感じられます。
(この件に関しては、文末の(補足:2)にて触れたいと存じます)
そして、とても、とても不思議に思うのは
「大臣としての職を賭してまでも、子どもたちのことを考えた大臣だったと説明してもらうとありがたい」 と語るなら、 何故中山氏は、小泉内閣時代にも座していた 「文部科学相」の椅子を麻生首相からもぎ取らなかったのでしょうか!? |
不思議でなりません!
何故、中山氏は「文部科学相」ではなく「国土交通相」を引き受けたのでしょう? |
その理由は、産経新聞(2008.9.28)の次の記述を見るとはっきり分かりました。
中山氏は27日の会合後、「(ポストに)きゅうきゅうとしているわけではないが、 地方の道路整備などはやりたい。 推移を見守りたい」と語り、辞任を否定していたが、・・・ |
そうなんです!
中山氏は、ご自身の選挙区である宮崎県に高速道路を持ってきて、 己の国会議員としての地位を確実にしたかったのでしょう。 |
しかし、次の朝日新聞(2008年9月27日)の記事を見ますと、中山氏はやはり「文部科学相」に就任せずに(「国土交通相」も棒に振って)政治の舞台から消えて行かれるのが一番である事が分かります。
「日教組(日本教職員組合)の強いところは学力が低いんじゃないか」――文部科学相時代に全国学力調査を提案した中山国土交通相が、テストで何を調べたかったかについて、こんな「本音」を明かした。「現にそうだよ。調べてごらん」。しかし、データをたどってみると、成績トップの秋田の日教組の小中学校組織率が5割超で全国平均(34.1%)を大きく超えるなど、全体的な相関関係はうかがえない。現場の先生も「短絡的」とあきれ顔だ。・・・ ・・・ 対象学年の全員を対象とする全国学力調査のそもそもの発端は04年11月。当時文科相だった中山氏自身が改革私案「甦(よみがえ)れ、日本!」で導入を表明したことだった。当時は目的について「競い合う心や切磋琢磨(せっさたくま)する精神が必要」と説いていた。 その直後、国際学力調査で日本の順位が落ちたことなどもあり「学力低下問題」への対応策として急浮上。05年6月には、小泉内閣の「骨太の方針2005」に盛り込まれた。同年10月の中央教育審議会の答申は「子どもたちの学習の到達度・理解度を把握し検証する」と明記。国策として統一的に学力の様子を調べる必要性が強調され、毎年60億円かかるテストの実施へと進んでいった。・・・ |
どだい「子どもたちの学習の到達度・理解度を把握し検証する」との発想自体がおかしいのです。
子どもたちの学習、更には、テスト内容は全知全能の神が作られたのでしょうか?!
中山氏同程度の頭脳の持ち主の方々が作られたのでしょうか?
ところが、朝日新聞(2008年9月28日)には次の記述が載っています。
日教組の問題については言いたいことがある。日本では様々な犯罪が起こっている。もうけるためならうそを言ってもいい、子殺しとか親殺しとか、これが日本だろうか。かつての日本人はどこに行ってしまったのか。これは教育に問題があった。特に日教組。全員ではないが、過激な一部が考えられないような行動を取っている。 教育基本法改正の時も、毎日、何百人という先生が国会議事堂を取り巻いていた。「改悪反対、改悪反対」。いったい先生方、子供たちをどうしたいのか、との思いを強くした。国旗・国歌についても教えない。何より問題なのは、道徳教育に反対していることだ。何とか日教組を解体しなきゃいかん。 ・・・ 日本の教育のがんが日教組。日教組をぶっ壊すために私は火の玉になる。 |
おかしいですよね!?
「日本では様々な犯罪が起こっている・・・かつての日本人はどこに行ってしまったのか」と中山氏が思っているのなら、「競い合う心や切磋琢磨(せっさたくま)する精神が必要」と説いて実施した全国学力調査は何なのですか!?
そんな「競い合う心」は「日本では様々な犯罪が起こっている」状態をより喚起してしまうかもしれません!?
そして、
中山氏の「かつての日本人はどこに行ってしまったのか」の言葉は、 そのまま中山氏ご自身に向けるべきです。 |
何故なら、本文の冒頭に掲げましたように、今回の暴言に関しての、“自分の出処進退は自分で決める。今晩、女房(中山恭子首相補佐官)と2人でゆっくり相談する”中山氏の発言は、「かつての日本人」なら、“首を洗って、明日、首相に差し出す”と言ったでしょうし、麻生首相が「かつての日本人」なら、中山氏の首を落とした後に、自らの腹を切っていたかもしれません。
更に、「国旗・国歌についても教えない。何より問題なのは、道徳教育に反対していることだ。何とか日教組を解体しなきゃいかん」に関しては、梅原猛氏(哲学者)の素晴らしい記述が朝日新聞(2005年5月17日)に載っていますので、文末の(補足:3)に掲げさせて頂きます。
そして、又、「日本の教育のがんが日教組。日教組をぶっ壊すために私は火の玉になる」と発言されるのなら、先にも記述しましたように、中山氏は「文科相」の座を麻生首相に懇願すべきだったでしょう。
それに
「日本の教育のがんが日教組」の言葉は、 「日本では様々な犯罪が起こっている・・・」と言われる 「日本人の心のがんは政治家」との言葉として中山氏に跳ね返ってくる筈です。 |
(但し、「・・・のがんが・・・」との病名、病気を例えに使用するのは止めて欲しいとのメールを頂きましたので、文末の(補足:4)に掲げさせて頂きます)
本来は、政治家たちが、子供達の憧れの対象になるべきだと存じます。 |
“僕は将来、大人になったら、政治家になって、多くの人の為に尽力したい”と言う子供達が沢山居てしかるべきです。
でも、今の時代、政治家に憧れる子供達が居ますか?! |
そうそう、若干居られるようです。 自民党議員の半数以上は世襲議員のようですから、 |
とりわけ、現在、
麻生内閣の閣僚の18人中13人が世襲議員 |
なのですから!
(これでは当然ながら「政治家による、政治家のための政治」が繰り広げられます)
従いまして、中山氏の「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になるのですよ」の言葉は、
「政治家の子供なんて成績が悪くても政治家になるのですよ」 |
との言葉として、御同僚の方々に(小泉元首相共々)ぶつけるべきではありませんか!?
(追記) 漫画だけ読んでいても日本の総理大臣になる事はで来ます |
ですから、中山氏は、“政治家の世襲をぶっ壊すために私は火の玉になる”と宣言するのが急務ではありませんか!?
ところが「ぶっ壊す」の元祖であり本家である筈の小泉元首相自身は、毎日新聞(2008年9月28日)を見ますと次のようなザマです。
小泉純一郎元首相(66)は27日、地元の神奈川県横須賀市で講演し、「次の総選挙には出馬しない決意を固めた」と述べ、次期衆院選に立候補せず、引退することを正式表明した。 小泉氏は講演で「総理在任中の5年5カ月で国会議員としての能力を使い切ってしまった」と理由を説明。さらに「衆院議員の任期を全うしてから辞めようと総理を辞めたときから決めていた」と語り、06年9月に首相を退いた直後に引退を決めていたことを明らかにした。今後は「シンクタンクの顧問として政治活動は続けていきたい」とした。 また、後継の次男進次郎氏(27)について「親バカぶりを容赦いただき、私に賜ったご厚情を進次郎にいただけるとありがたい」と紹介。・・・ |
小泉氏はとんでもないグータラ親父です。
「総理在任中・・・で国会議員としての能力を使い切ってしまった」のなら、 その時点で直ちに議員を辞めるべきでした。 |
小泉氏は、自民党をぶっ壊すどころか、ご自身の頭をぶっ壊してしまったようです。
(それとも、もともとぶっ壊れていたのでしょうか?)
「小泉チルドレン」には、彼らの出身、居住地にも関係ない地域に、落下傘として、立候補させ運良く当選した後は、“首相も国会議員も使い捨て”などといって、「小泉チルドレン」を突き放している、小泉氏なら
ご子息をご自身の選挙地盤ではなく、 縁も所縁もないような地域に 落下傘として立候補させるべきです。 |
なのに、
“親バカぶりを容赦いただき、 私に賜ったご厚情を進次郎にいただけるとありがたい” |
では呆れて口が開いたままになってしまいます。
(開けたままの口からでも、“バカにするのもいい加減にしろ!”と怒鳴りたくなります)
こんな小泉氏に対してこそ、 中山氏は「かつての日本人はどこに行ってしまったのか」の言葉をぶっつけるべきです。 |
更に、朝日新聞(2008年9月29日)には、次のような記事が載っています。
国土交通相を辞任した自民党の中山成彬衆院議員(宮崎1区)が29日、TBSのテレビ番組に出演し、辞任の一因となった「単一民族」発言について、「言葉には気をつけなければいけないが、言葉狩りばかりしていると政治が活性化しない」と述べた。 番組終了後、中山氏は「言葉狩り」の意味について、記者団に「単一民族という言葉は使っちゃいけないんだなと思った。『同質民族』と言えばいいのか、なんて言えばいいのかと思って、瞬時に言葉が出なかった」と説明した。 |
野球の世界では、現役時代も多くのホームランを打ち、又、昨年のWBCで日本チームを優勝に導いき、日本中を熱狂させた王貞治監督の国籍は台湾です。
外国人レスラーを空手チョップで次から次へとなぎ倒し、戦後の日本人に力を与えてくれた力道山は朝鮮の出身です。
それに、日本プロ野球の「ジャイアンツ」の奇跡の逆転優勝(成否は兎も角)を牽引し、ファンを熱狂させているのは、イ・スンヨプ選手であり、ラミレス選手です。
朝日新聞(2008年9月30日)の紙面では新JICAを率いる緒方貞子理事長が次のように語っておられます。
──00年には世界一だったODAは減り続け、07年の実績では5位に転落しました。 経済規模に対する比率では先進国でも最低レベルになった。「応分の負担」以下。これでいいんですか、と聞きたい。日本は世界の平和や安定からいろんな恩恵を安心ているのに、「何かしないといけない」という意識が弱い。私が国連に移った91年ごろには「国際貢献」とい言葉がもっと使われていた。 防衛費はODAと比べようがないぼど大きいが財政再建の中で削るバランズが良かったのか。第2の経済大国としてどうこれを認識し、実行するのか、政治の問題だ。 政治指導者が率先して言わないといけない。 ・・・ −ODAは外交のツール(道具)と言われまずが。 ツールというより、もっと大きなものだ。日本が国際的な役割を果たし、世界と共存共栄を図るうえで重要な役割を果たす。そのための機関がJICAだと考えている。 |
今の時代、「単一民族」、『同質民族』などに、 そして、又、「国歌」、「国旗」に拘っている中山氏は時代遅れです。 |
更に、時代遅れの議員が居るのです。
共同ニュース(2008年9月30日)では、次の事実が知らされます。
自民党の笹川尭総務会長は30日、国際的な金融不安を広げた米下院の緊急経済安定化法案否決をめぐり「下院議長は女性で、男性とはリードがひと味違う感じがする。それで破裂した」と述べ、女性議長だったことが否決の一因との認識を強調した。国会内で記者団に述べた。 女性蔑視とも受け取れる発言だけに、女性団体などから批判が出る可能性もありそうだ。 笹川氏はまた、同法案に反対した下院議員について「(米国では)企業の代表取締役が高給、すごいボーナスをもらっているので、ひがみがある。それが出てしまった」と述べた。 |
こんな発言をしている政治家達(男性)よりも、女性であり新JICA理事長として仕事をされる緒方貞子氏にこそ若者達が憧れるのではありませんか!?
「企業の代表取締役が高給、すごいボーナスをもらっているの」のは、それを貰っている当事者以外の誰から見ても異常です。
彼らにそれだけの能力、業績があったとは、誰が信じますか!? |
(特に、サブプライムローンの破綻を予期も出来なかった金融関係者は尚の事です)
米国下院で否決されたこの法案は、 ゴールドマン・サックス社の会長兼最高経営責任者を辞任する際、 退職金もどきの金を約500億円入手して財務長官に就任した ポールソン氏が音頭とりをしているのですから、「ひがみ」でも何でもありません。 |
それを「ひがみ」と片付けてしまうのは、笹川氏が余りに大金持ちであるために、私達と金銭感覚が全くずれている証と存じます。
子供達からも尊敬されないように議員達を教育した責任は「日教組」にある!と冗談にも、中山氏に言って欲しくはありません。
「かつての日本人はどこに行ってしまったのか」の言葉は、 政治家達にぶつけるべき言葉である事は明らかです。 |
(補足:1)
『さらば財務省 高橋洋一著:2008年5月21日 第7刷 講談社発行』の一部を抜粋させて頂きます。
霞が関が、これまで官僚主導の政策立案を継続できた最大のからくりは、審議会システムにある。 政府案は、審議会の答申に基づき、練られる。審議会委員には、その分野の選りすぐりの学者や有識者が集められることになっているが、実態はお寒い限りだ。 審議会のメンバーの人選は事実上、担当省庁が行う。閣僚はそんな細かなことまで関わっていられないので、役所から推薦された人物を承認してメンバーが決まる。 役所は当然、自分たちとは反対の意見を持つ人間は、初めから排除する。考えを同じくする学者か、さもなくば、毒にも薬にもならない、ほとんど無知で、自分たちのいいなりになりそうな人間を選択する。学者や有識者もたとえ自分の見識に自信がなくとも、政府の審議会委員に抜擢されれば箔が付く。断る人はまずいない。専門家でもないのに、声がかかっただけで舞い上がり引き受ける。 その結果できあがるのは、役所の代弁機関としての審議会である。 一回目の審議会が開かれる前に、役人が委員に選ばれた学者にあらかじめ説明を行う慣わしになっている。役所では、これを「振り付け」と称している。文字通り、役所の思惑通りに振る舞うよう振り付けをするのだ。 このとき、素人同然の学者のなかには「何を聞いたらよいのか」と尋ねてくる人もいる。役人が吹き込むと熱心にメモを取っている。 たとえば、政府税調の委員ならば、日本有数の税のエキスパートだと思うだろうが、現場で行われている議論を一度でも見た人なら、これがとんでもない錯覚だと気づくはずだ。 役所の説明に、「いやあ、勉強になりました」「いいことを教えてもらいました」と喜んで語る学者が少なからずいる。そして、税調で仕入れた情報や理論を自分の本としてまとめる。本人に質しても、決して認めないだろうが、私の知る限り、こういう学者がかつて何人もいた。 ・・・ あるいは、二年前にすでに埋蔵金の存在は明らかになっているのに、日本有数の立派な学者さんたちが集まり、何度も慎重に審議したはずの財政審で、埋蔵金の「ま」の字も出てこなかったではないか。誰もまじめにペーパーを見ていないからだ。 これはどの審議会も同じで、体裁を整えるために無駄に税金が使われているというのが、審議会の実態。極端な話、今の委員を全員素人に入れ替えても、同じ結論が出るのではないか、とさえ思ってしまう。 審議会委員のなかには、役所の覚えがめでたくなりたいばかりにお先棒を担ぐ人もいる。埋蔵金の論争でも、まるでわかっていないのに、中川秀直元幹事長が触れると、「あれは素人だから」とバカにして、「埋蔵金などない。特別会計の剰余金は必要だ」とあちこちで主張していた学者がいた。 ・・・ 永田町・霞が関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけることになっていた。そして、事務次官等会議ではねられた案件は、閣議にはかけられなかったのである。 これは考えてみればおかしい。閣議よりも事務次官等会議が格上で、事実上、事務次官等会議が政策の決定権を握っているともいえるからだ。しかし、長年続いていたこの慣行を、疑う者は誰もおらず、政治家も役人もそういうものだと思っていた。 ・・・ |
財務官僚の身分で、小泉政権、安部政権下で6年半にわたって、改革に関わった結果、財務省から「死刑でも済まない大犯罪者」の汚名を着せられたこの高橋洋一氏は自ら大学教授へと転身されたとのことです。
(補足:2)
週刊金曜日(2008.9.19号)の「蓮池透さんインタビュー」記事の中に、中山恭子氏(当時拉致問題担当大臣)、又、安倍晋三氏(元首相)への、不満の声をあからさまではないながらも上げておられます。
(蓮池氏が、拉致されておられる方々を慮ると大声で彼らを非難できないのではないかと私は勘ぐってしまいます)
──中山恭子さん(拉致問題担当大臣)をはじめ、日本政府は拉致問題解決の戦略を持っているのですか。 以前、中山さんは戦略を練る部署がないと嘆いてましたが、今は内閣官房に対策本部があります。ただ、対策本部は世論や「家族会」のご機嫌取りに気をとられていて、被害者を本気で救い出そうとしているようにはみえません。対策本部は、啓蒙活動として@テレビコマーシャルA新聞広告HDVDCまんがを三カ国語に訳して配布──などをしていると言いますが、もっと活きた予算の使い方を考えるべきでしょう。「家族会」は経済制裁を求めていますから、制裁を続けていれば「被害者家族の意向に添っているので文句は出ない」と考えているふしがあります。 六年経って何も動かないのは異常です。真面目にやらないとすぐ一〇年経ってしまいます。家族が高齢化しているのが気がかりです。 ・・・ ──私は、国家主権とはあまり言いたくありませんが、拉致問題とは国家の主権が侵された事態ですよね。 それなのに日本政府に当事者意識があまりにもないように思えます。首相が政権を放り出すのも無責任です。 そうですね。安倍(晋三)前首相に対する期待があまりにも大きすぎたので、辞任には批判が出ました。 安倍さんは当時、「北朝鮮に圧力をかけて締め上げると、悲鳴を上げて泣きついてくる。そのときは真相を白状するし、被害者を返す。日本外務省は窓を開けて待っている。ボールは向こうにあるんですよ」とおっしゃったが、一年ちょっとの在任期間中に何も起きませんでした。 ・・・ ──繰り返しますが、政府に解決に向けた気概が薄いのが気がかりです。 安倍さんが言った「全員生存を前提にする」「平壌宣言にのっとり国交正常化を目指す」が分かりませんでした。矛盾してますよね。北朝鮮が言った「五人生存、八人死亡」を日本政府が呑み込んだから平壌宣言に調印したはずなんです。生きていることが前提なら、平壌宣言の履行は中断しないといけない。「全員生存が前碇」というのは結構ですが、帰国させるための行動がみえません。・・・ |
(補足:3)
朝日新聞(2005年5月17日)梅原猛氏(哲学者)書かれた「日本の伝統とは何か 反時代的蜜語」の全文を次に掲げさせて頂きます。
近頃、教育基本法には伝統の尊重ということがうたわれていないので教育基本法を憲法改正に先立って改正すべきであると主張する人がいる。その人が伝統というものをどう考えているかはよく分からないが、どうやら教育勅語を日本の伝統に根ざすものと考え、教育勅語の精神にもとづいて道徳教育を行えば日本人は立派な道徳的人間になると思っているらしい。果たして教育勅語が日本の伝統に根ざすものであろうか。 教育勅語にはさまざまな道徳が羅列されているが、その中心道徳は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という言葉に表現されている。いってみれば、戦争が起こればお国のために命を捧げてこのすばらしい国を守れというのである。 私は最後の戦中派であるが、大東亜戦争といわれた太平洋戦争中には「天皇のために死ね」という言葉が天からも地からも響いているようであった。 この声に従って多くの友人は、無謀に始められ、しかも敗戦が確実になっても軍人たちがなかなかやめようとしなかった戦争に参加し、潔く戦って散っていった。私は好運にも命、氷らえて帰ってきたが、三百万以上といわれる日本人を空しく死にいたらしめたこの戦争を心から憎んだ。 戦後、西洋哲学の研究者であった私が日本の宗教や文化の研究者に変わったのは、日本の文化や思想を知らずには独創的な哲学を創造することができないと思ったからでもあるが、また、このような戦争を引き起こした日本に対する憎しみにもかかわらず、日本文化はすばらしいと痛感したからでもある。いわゆる「梅原日本学」というのはそういう愛と憎しみのなかから生まれたものである。 私は、教育勅語は明治初年に行われた廃仏毀釈、神仏分離の政策の延長上に作られたと思う。聖徳太子以来、日本は仏教を国教としたが、その仏教が縄文時代以来の日本人の宗教である神道と習合した。泰澄・行基によって始められた神仏習合は空海の真言密教により完成され、その伝統が幕末まで続いた。 しかるに偏狭な国学者によって思想的に占領された明治政府は神仏分離、廃仏毀釈の政策をとり、仏ばかりか神々までも殺してしまった。そしてその神仏不在の場所に新しい天皇という神を導入したのである。それは新しい神道の創設であったといってよい。この新しい神道は、対内的には徳川幕府に代わる薩長政府の政治支配を確立させ、対外的には全国民の力を天皇という一点に集中させ、日本を西洋諸国並みの強国にすることに貢献した。 哲学者、和辻哲郎は戦時中、『尊皇思想とその伝統』という書物を書き、天皇を神とする思想が日本の伝統であることを証明しようとしたが、その証明は成功していない。天皇を神とする思想は『古事記』 『万葉集』にあり、『神皇正統記』などで主張されてはいるが、そのような思想が盛んになったのは江戸中期以後であり、それは倒幕の思想として利用されたにすぎない。 日本はこのような宗教の下で近代国家として発展し、大国となり、十五年戦争に突入し、敗戦の憂き目をみた。 このような近代日本をイギリスの哲学者、バートランド・ラッセルは、国の元首が神であることを批判することが許されない日本がどうして近代国家であるかと批判している。 戦後、マッカーサー指令によってこの新しい神道が否定され、昭和天皇は「人間宣言」の詔を出されにが、科学的思考が支配する二十世紀の世界において、天皇がわざわざ「人間である」という詔を出されるのはまことに奇妙なことであると思われる。私は何度か昭和天皇にお目にかかったが、天皇は心から生物がお好きな好々爺で、このような方が神様の役を演じられるのはさぞお苦しかったろうと思わざるを得なかった。三島由紀夫はこの人間宣言の詔を否定し、天皇はいつまでも神であるべきだったと考え、小説『英霊の声』を書いたが、私は天皇の人間宣言から真の近代日本が始まったと考える。 今上天皇が百済の武寧王の血を引く桓武天皇の母、高野新笠に触れて「韓国との縁を感じている」といわれ、「君が代」を歌い日の丸を掲げる運動を嬉々として務める棋士に「強制になるということではないことが望ましい」と、リベラルな学者でも容易にいえないようなことをおっしゃったことからも、天皇家の人々は大変リベラルで、教育勅語に示される天皇制に逆行することを望んでいらっしゃらないのではないかと私は察するものである。 改めて私はいいたい。教育勅語は決して日本の伝統に根ざすものではない。教育勅語を復活させるのは、伝統文化を愛さずもっぱら私利を追求する知なき徳なき政治家のいうことを、天皇の命令だといって従わせることになるのではないか。日本人を真に道徳的人間にするには、神仏習合の日本の伝統を深く自覚することによってしか可能ではないと私は思う。 |
(補足:4)
中山氏の「がんは日教組」との発言に関して、私は次のメールを頂き、共感しましたので、ここに掲載させて頂きます。
辞任した国土交通省大臣の中山成彬氏の失言に対して、新聞等では誤りやそのひどさを指摘されていました。しかし、残念に思ったのは、「がんは日教組」という発言に対して指摘が見られなかったことです。 一般に、「がん」=「悪いもの「という図式ができているようで、がんをよく例えに使う政治家もいらっしゃいます。 しかし、いまや、がんは治る場合もありますし、共存してつきあいながら生きていく時代です。 すでに悪いものに対して「がん」という例えは成り立たないはずです。 また、政治家の皆様に、今後、病気を悪い政局や悪い経済状況の例えに使うことは止めていただきたいと願っております。 病気と闘っている患者さんの心を思えば、病気を引き合いに出すことはできないはずです。 これまでも、破綻した銀行などに「カンフル剤を打つ」などの例えを聞くたびに、病気に例えるのは止めてほしいと考えておりました。 高齢社会の日本で、病気を抱えている人は少なくないし、これからさらに病気を抱えている人は増えるはずです。 治る病気もあれば治らない病気もあり、病気を「悪」と決めてしまうのは、いい加減止めてください。 政治家だって、生活習慣病に罹っている人は少なくないでしょう。 |
特に、「病気を悪い政局や悪い経済状況の例えに使うことは止めていただきたい」の件に関して、補足させていただきます。
「経済の状況」を「病気の状況」に喩える事は不可能な筈です。
「今の経済状態は、大量出血状態なのですから、先ずは止血処理として、公共投資などの応急手当が必要です」との言葉を私達は政治家達からよく聞かされます。
肉体から多量に出血している場合は、目で見て誰でも直ぐ認識でき、止血が急務である事は分かります。
でも、「酷い下痢状態だから、下痢止めを飲ませるべきだ!」が、「O157による下痢には下痢止めは厳禁!」から、素人判断で危険である事が分かる筈です。
それに、経済と、病気はまったく別物です。
(何かにつけて、病気を喩えに出すのは、医療関係者を冒涜しているように思えます)
不景気だからと言って、即効性はあってもその効果は当座だけで、後の世代に借金を残すだけの公共投資が今必要なのか?それとも、即効性はないが(元小泉首相の発言のように“暫くは国民に耐えて貰わなくてはならない”状態となるかもしれませんが)産業構造の改革、基礎学問の充実等々、何が必要なのか何をすべきかを、病気を喩えに出すことなく、「かつての日本人」のように、本腰を入れて検討すべきと存じます。
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